世界第7位のコーヒー生産量を誇るインド。近年の経済成長の追い風を受け、消費国としても大いに期待されている。北インドに位置する首都デリー(※)はもともと紅茶文化圏だが、南インド産のコーヒーの品質が向上し、美味しいコーヒーが飲めるおしゃれなカフェが増えてきた。デリーのコーヒー事情を伝えるカフェ4軒をご紹介しよう。
※日本の外務省HPではインドの首都は「ニューデリー」と表記。特集中本文では、周辺地域も含めた都市名デリーで統一。
Indian Coffee House
インディアン・コーヒー・ハウス
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フォーム・ミルクたっぷりのクリ―ム・コーヒーは若者客に人気の品。
インドコーヒーの歴史にはこんな伝説がある――。そのはじまりは17世紀。メッカ巡礼に出向いたイスラム教の聖人ババ・ブダンが、その帰途イエメンから7粒のコーヒー種を持ち帰り、マイソール近郊のチャンドラギリ峰に植えたのだという。当時、アラビア以外へのコーヒー種の持ち出しは御法度中の御法度。ブダンが危険を顧みず、禁を犯しながらも伝えたコーヒーは、当時のインドの人々にとって、まさしく〝禁断の味〟だったに違いない。
苦みのあるコーヒーに、ミルクたっぷりが定番の味。
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凛々しいスチュワードのふたり。この制服が着用できるのは、チーフクラスの給仕係だけ。
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スペシャル・コーヒー(16ルピー)、マサーラー・ドーサ(30ルピー)。
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年季の入ったベンチシートが、この店の長い歴史を物語っている。
時は流れること数百年。1930年代初めになると、インドにおけるコーヒー作りはますます盛んとなり、「インドコーヒー協会」が発足。その味を広めるべく、国内各地に協会直営のコーヒーハウスが誕生した。しかしその後、インドが長きにわたる英国の植民地支配から独立を果たしたのと前後して、協会はコーヒーハウス事業からの撤退を表明する。これに対し「働く場所がなくなっては困る!」と声を荒げたのは全土のコーヒーハウスの従業員たち。一致団結して「コーヒー業従事者協会」を作り、既存店舗の営業権を獲得するに至った。デリーの「インディアン・コーヒー・ハウス」はその1号店。1957年から続く老舗だ。
一歩店内に足を踏み入れると、そこに広がる情景はまるで古い映画の1シーンのよう。ベンチシートにどっしりと腰掛け、淡々とコーヒーを啜るターバン姿の老人。カーキの制服にネルー帽(初代首相のネルーが愛用した帽子)姿のバリスタ。極めつけはまばゆい白の制服に、赤や緑のカマーバンドを締め、ターバンを被ったスチュワード(給仕係)で、これは創業当時と変わらぬ衣装だという。
店一番の売れ筋はメニューに「スペシャル・コーヒー」と書かれたミルク入りの南インドコーヒー。マシーンで丁寧にいれた苦めのコーヒーとたっぷりのミルクというコンビネーションは、老若男女問わず人気の定番品だ。常連の多くが、この一杯を運営母体の本部がある南インドの名物「マサーラー・ドーサ」(インド版クレープ)やワダ(豆のフライ)とともにオーダーする。
ここはデリーの中心街にありながらも都会の喧噪から離れ、自分の世界に浸ることのできる希有な場所。今日もまた訪れる人々がカップを片手に、それぞれの時をゆったりと刻んでいる。
Indian Coffee House
インディアン・コーヒー・ハウス
1957年創業。コーヒー業従事者協会が運営する、インド国内有数のコーヒー・ハウス・チェーンの第1号店だ。店の入り口に掲げられた看板も、レトロな雰囲気を醸し出す。
■ www.indiancoffeehouse.com
Lodi
ローディ
インド菩提樹、アショーカ、スター・フルーツなどの樹木が茂る庭。季節のうつろいが感じられる空間だ。
「モンスーン・マラバル・コーヒー」をご存知だろうか? 南インドのマラバル海岸沿いやカルナータカ州、ケラーラ州で産出される豆のことで、コーヒー生産量世界第7位を誇るインドにあって、ことに世界中のコーヒー愛好家たちの注目を集める逸品だ。魅惑の味が生まれるカギは、まさに「モンスーン(=季節風)」。インドの気候に多大な影響を与えるモンスーンは、6~9月の約4カ月間。この時期の雨量は作物の出来を左右するが、コーヒーも然り。雨に打たれて水分をたっぷり含むことにより、酸味が消えてpHバランスのよいマイルドな味わいに仕上るのだ。そんな南インド産アラビカ種やロブスタ種でいれた香り高きコーヒーはいつの時代も人々を魅了する。ムガール王朝時代に王宮で嗜好品として人気を集め、17世紀初めには宮廷人たちが集うカフェサロンが存在したという。
天蓋付きのテラス席で、香りが自慢の一杯を。
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ブロック・プリント柄の制服に身を包んだホール・スタッフが勢揃い。
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ひきもきらず注文が入るカプチーノ(125ルピー)。クセになる味わいのローディ・チョコレート・ムース(325ルピー)。
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天蓋付きの席ならマハラジャ気分が味わえる!?
そんなインドならではの悠久の歴史に思いを馳せながらコーヒーブレイクを楽しめるのが、カフェレストランの「ローディ」だ。ムガール王朝以前の15世紀にデリーで隆盛を極めた「ローディ王朝」の王墓を中心とした遺跡公園隣に、格別な趣を持って佇んでいる。「ローディ」には2階建ての瀟洒な建物内のレストラン席と、広い庭に配されたおしゃれな天蓋付きの席とがあるが、もちろんおすすめは後者だ。
供されるのは、注文を受けてからその都度挽く豆を本格的なエスプレッソ・マシーンで抽出した、香り高き一杯。豆は南インド産アラビカ種とロブスタ種のハウス・スペシャル・ブレンドを使用している。
バー・カウンターでマシーンの唸り声が鳴り響く中、ダントツ人気のカプチーノやエスプレッソが芳香を放ちながら次々と客席へと運ばれていく。そのトレーには、常連のほぼ100%が注文するという「ローディ・チョコレート・ムース」の姿も。もったりと重量感のある舌触りとチョコレートの濃厚な味わいが自慢のスイーツ。日本人ならばブラック・コーヒーを合わせるところだが、甘いもの好きなインドの人々はコーヒーにも砂糖をたっぷり、がお約束だ。
デリー市民の憩いの場でもあるローディ・ガーデンを散策した後は、インド流〝甘~い〟コーヒーブレイクを体験してみてはいかがだろう。
Latitude 28
ラティテュード28
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カフェメニューのみならず、食事も充実。新鮮な野菜をたっぷりと使った本格イタリアンも堪能できる。
歴史ある本屋にサリーやカーディ(手紬、手織りの布)製のインド服のブティック......。昔ながらの店が軒を連ねる一方、洒落た雑貨店や輸入食材店などが続々とオープンし、デリーの「いま」が感じられるカーン・マーケット。その中で話題を集めるのが、人気セレクトショップの最上階にある「ラティテュード28」だ。カリスマ女性シェフ、リトゥ・ダルミアが手がけたこの店では、まだインドでは珍しいヘルシーなイタリア料理やとびきり美味しいコーヒーが味わえるとあって、一日中客足が途絶えることはない。
店内の随所に感じられる、インド手工芸の粋。
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ブロック・プリント柄の制服に身を包んだホール・スタッフが勢揃い。
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マトンヤクニー・カシミールカレーセット(550ルピー)、エスプレッソ(120ルピー)。
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人気メニューのカプチーノ(140ルピー)、チーズケーキ(270ルピー)。
イタリアで修業したリトゥだけにコーヒーへの造詣は深く、ほかでは見られない多彩なカフェメニューは圧巻。デリーのカフェの定番であるカプチーノ、エスプレッソ、アメリカンコーヒーはもちろんのこと、マキアートやフラッペもあり、いれ方についての細かなリクエストにも対応してくれる。使用する豆は南インド産のオリジナルブレンドで、深めの焙煎に彼女のこだわりがうかがえる。
「コーヒーに合うデザートは色々と取り揃えているけど、私のイチオシはカプチーノにチーズケーキの組み合わせね」とリトゥ。季節限定のデザートも登場するといい、訪れる客の楽しみの一つとなっている。
さらに驚くべきことに、「ラティテュード28」では次々とスペシャルメニューが提案され、その都度内装も全面リニューアル。そこにはインドならではの手工芸の粋が凝らされているのも興味深いところだ。この日は「カシミール(インド北部)フェア」が開催されており、店の壁面はカシミール地方で作られた広告ポスターを図柄にしたポップな壁紙で飾られていた。きびきびと働くホール・スタッフの制服はブロック・プリント(木版染め)、テーブルの上にある蓮の実を象った真鍮製の塩・胡椒入れもインドの手工芸品だ。
味・サービス・インテリアのいずれも揃ったこの店の常連には目や舌の肥えた人々も多く、春と秋に開催されるインド・ファッション・ウィークの時期には店内が国外から来るバイヤーやモデルでごったがえすという。
街一番の話題のカフェは、この国が持つ多面的な魅力に溢れている。市場での買い物のついでだけではなく、わざわざ訪れる価値も大のスポットだ。
Latitude 28
ラティテュード28
インド一のカリスマ女性シェフ、リトゥ・ダルミアがプロデュース。デリーで最も話題のカフェレストラン。メニューに合わせて変わるインテリアも注目の的だ。
Elma's
エルマズ
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コーヒーを楽しむ、パンジャービー・スーツ姿のマダムたち。
デリー一の流行発信地ハウズ・カーズ・ヴィレッジ。高級ブティックやアートギャラリー、一流レストランが点在するこの地にあって、ひときわチャーミングなカフェが「エルマズ」だ。
パステルカラーの壁にギャザーたっぷりの小花柄のカーテン、使い込まれた白いピアノ。イギリス統治時代のアンティーク・カップの数々......。古き良き時代のイギリスを彷彿とさせる店内では、女性客や若いカップルが楽しそうにおしゃべりに興じている。テーブルには、インドではまだ数少ないフレンチ・プレス式のコーヒーサーバーが提供されている。
至福の朝食目当てに、開店直後から大賑わい。
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左:マネージャーのイシャさん。右:フレンチ・ハート(35ルピー)。
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コーヒー(100ルピー)、レッド・ベルベット・ケーキ(175ルピー)、有機素材のサンドイッチ(250ルピー)。
「フレンチ・プレス式のコーヒーは、自分でいれた気分を味わえると好評です。使う豆はインド産のハウスブレンドで、濃いめにしています。酸味の控えめなコーヒーを好むお客様が多いですね」とマネージャーのイシャさん。
「エルマズ」は、連日10時の開店直後から通勤・通学前の客で大賑わい。その誰もが、店内に併設されたベーカリーの焼きたてのパンとコーヒーの〝至福の朝食〟がお目当てなのだ。
1ルピー = 約1.5円(2012年12月現在)
文・ 伊藤ゆずは / 取材・Yasuko Malhotra / 撮影・Tomoyo Ochiai
更新日:2013/03/01