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COFFEE BREAK
健康-Health-
認知症の予防にはコーヒーがよい?
脳の神経細胞が破壊されることで起きる認知症。進行をある程度遅らせることはできるものの、今のところ特効薬はなく、一度発症したら完治はかなり難しい。
認知症はかつて痴呆症と呼ばれていたが、差別的なニュアンスがあると問題視され、2004(平成16)年に名称が統一された。認知症とは特定の病を指すのではなく、脳の細胞が正常に働かなくなり、さまざまな障害が起こる状態の総称である。認知症は「アルツハイマー型」「レビー小体型」「血管性」などに大別される。日本でもっとも多く見られるのがアルツハイマー型認知症だ。その予防に、コーヒーが役立つかもしれないという研究結果が発表されたので紹介したい。
薬に頼らない、健康的な生活を。
今回の研究を手がけたのは、慶應義塾大学薬学部衛生化学講座教授の田村悦臣(ひろおみ)さんだ。
理系少年だった田村さんは分子生物学に惹かれ薬学部に進学。博士課程を修了し、医薬品メーカーの研究所に勤めた後、研究者の道に転じた。
田村さんが率いる衛生化学講座では、肥満や慢性炎症といった生活習慣病を引き起こす大きなリスク要因を、コーヒーを飲むことで予防するための分子基盤の解明を目指し、さまざまな角度から研究を続けている。興味深いのは薬学部でありながら、薬に頼らない健康的な生活の実現を目指していること。
「生活習慣病の治療費は日本の治療費の約3分の1にのぼり、特に薬剤費が大きな比重を占めています。今後さらに高齢化が進むなかで医療費をどう抑えるかは社会の大きな問題です。慢性疾患は一度発症したら薬を飲みつづけなければいけません。できるだけ薬を飲まない生活を送り、健康寿命を延ばすために貢献したいのです」(田村さん)
衛生化学講座では「薬離学(やくりがく)」というキャッチフレーズをつくり、生活習慣病にコーヒーを飲むことがどういう効果を示すのかを、細胞レベルと動物レベルで解析している。認知症も、実は長年積み重ねる生活習慣に起因する病といわれている。
そもそも田村さんがコーヒーに着目したのは「薬物代謝酵素」の研究に携わってからだった。
「『ある種のジュースを飲むと薬の効き目が変わる』なんていう話を聞いたことはありませんか。薬は体内に入ると代謝を受けて構造が変化します。それをつかさどっているのがたんぱく質で、私はそのなかの一つの酵素を研究していました。特に消化管の酵素は食品成分と相互作用するので興味深く、さまざまな飲料を調べはじめました」
その一環としてコーヒーを調べたところ、コーヒーだけにある特殊な反応があったそうだ。
「非常に強い誘導があったり、逆に阻害があったり......。『なぜコーヒーが?』と思ったのがスタートですね」
コーヒーを調べはじめた田村さんは、疫学を含む研究論文に目を通し、コーヒーがさまざまな病気に対して効果があることを確認する。糖尿病、認知症、がんなどの予防に絞って研究をスタートしたのが、今から12〜13年前だ。
分解を早めることで、正常な状態を保つ。
田村さんによると、認知症のおよそ7割がアルツハイマー型認知症で、その原因が長い年月をかけて脳細胞につくられる「老人斑」(ろうじんはん)。老人斑は神経細胞のなかのアミロイドβタンパク質が凝集して毒性をもったもので、ここから神経細胞が変性し、特に記憶や学習の障害を引き起こす。アミロイドβタンパク質は、少量ならば脳の外に排出されて問題ないが、産生が活発になって蓄積異常が起きるとアルツハイマー病を発症すると考えられているのだ。(図1)
「老人斑となるアミロイドβタンパク質を切り出す活性酸素の量を、コーヒーのなんらかの成分が減らすのではないかと考えたのが出発点です」
神経細胞内でアミロイドβタンパク質を切り出す酵素は2つある。一つは「γセクレターゼ」。しかしこの酵素の働きを抑えてしまうと別の大切な機能を損ねてしまうことになる。そこで田村さんはもう一つの酵素「βセクレターゼ」について調べた。(図2)
「マウス実験では、βセクレターゼを抑えてもきちんと生きています。つまり、アミロイドβタンパク質の産生にかかわるβセクレターゼという酵素の働きを阻害してもあまりリスクはないだろうと考えられるのです」
最初に、がん細胞のように増えつづける性質をもった「ヒトの神経芽細胞腫」(SH︲SY5Y細胞)の培地に2%に希釈したコーヒーを添加し、24時間後のアミロイドβタンパク質の量を量った。するとコーヒーを添加しない場合に比べて2割ほど量が減っていた。(図3)
「24時間経つと元に戻りますが、さらにもう一度コーヒーを添加すると量はまた減るのです」
どうしてこうなるのか。田村さんは調べた。するとアミロイドβタンパク質を切り出す酵素のβセクレターゼの量そのものが減っていた。(図4)
「つまり、コーヒーがβセクレターゼになんらかの影響を与え、その結果としてアミロイドβタンパク質の量が減っているのです。細胞のなかでは常に分解と合成が行なわれ、それによって恒常性が保たれていますので、減るのは『合成量が減る』、もしくは『分解が早くなる』という2つの理由が考えられます。調べると合成量は変わらなかったため、分解に着目しました」
田村さんは「タンパク質を分解するステップを阻害する」という手法を取り入れて実験を行ない、「コーヒーにはプロテアソームによる分解を活性化させる働きがある」ことを突き止めた。プロテアソームとは、生体内でタンパク質の分解を担う巨大な酵素複合体のこと。不要になったり、品質が劣化したりしたタンパク質はユビキチンとして印をつけられる。このユビキチン化されたタンパク質を認識して取り込み、分解するのがプロテアソーム。分解産物は再びアミノ酸となって体内でリサイクルされる。
「そのプロテアソームによる活性化のメカニズムの一つに『アミノ酸のリン酸化』があります。そこでリン酸化を阻害する試薬を入れて活性化を抑えたうえでコーヒーを添加しました。するとコーヒーの効果が消えました」
コーヒーのなんらかの成分がアミノ酸のリン酸化を促し、それによってβセクレターゼの分解が早くなり、結果としてアミロイドβの量が減少する。そういうメカニズムがわかった。
効いていたのは、「ピロカテコール」。
メカニズムのその先に踏み込むため、田村さんはコーヒーの成分について調べることにした。
「通常のコーヒーとデカフェを調べたところ差は出ませんでしたので、効いている成分がカフェインではないことはわかりました。別の大学の先生に協力してもらい、有効な成分を同定する研究を進めました」
コーヒーの焙煎の違いによってβセクレターゼの発現がどう変わるのか。田村さんは自ら購入した焙煎機を用いて、市販の豆(やや深煎り)、生豆、中煎り(焙煎機で10分間焙煎)、深煎り(同20分間)で比較した。すると深煎りがもっとも発現量を抑える結果となった。(図5)
「コーヒーの有効成分としてはクロロゲン酸がよく知られていますが、実は焙煎の過程で壊れていくのです。その代わり熱によって反応が進んで増えるのが『ピロカテコール』という成分です。今回はこのピロカテコールが有効成分だとわかりました」(図6)
最後に、田村さんは一般的な実験用マウスに60%に希釈したコーヒーを4週間自由に飲ませ、新しい学習や記憶の貯蔵装置としての役割をもつ脳の領域「海馬」への効果を観察した。
「老人斑の原因となるβセクレターゼの海馬で産出される量を見たところ、コーヒーを飲ませることによってその発現量が低下しました。これはかなり有望な結果です」(図7)
この一連の実験によって、田村さんは「コーヒー豆の焙煎が認知症予防に重要である」ということを示唆する結果を得る。実は以前に行なった肥満予防の研究でも「焙煎によって効果が強まる」という結果を得ているが、実験当初は成分まで探りあてるのは難しいと思っていたと田村さんは振り返る。
「ピロカテコールの分子構造はとても単純です。なぜこんなものが効くのだろうと不思議にさえ思います」
毎日、無理せず、飲むコーヒー。
田村さんが突き止めたピロカテコールだが、化学物質の分類としては「劇物」に相当するという。
「化学物質の生物学的作用として、毒性の強い順に、特定毒物、毒物、劇物に分類されています。ピロカテコールは劇物ですから、サプリメントとして販売することはできません。しかし、コーヒーに含まれているピロカテコールの量はとても少ないので毒性は出ずに、身体にはいい効果が出る。コーヒーは絶妙なバランスの飲料なのです」
前述したように、認知症は長い年月の生活習慣が響くもの。もしも薬で予防しようとするならば、20年ほど飲みつづけなければいけない。
「60代半ば以降の発症が多いです。予防は大切ですが、40代から薬を飲めますか? 現実的ではありませんし、薬剤費がさらにかさみます。しかし、コーヒーなら毎日飲むだけで同じような効果を得られる可能性があるのです」
田村さん自身、毎日かかさず3杯程度は飲むというコーヒー好きだ。アルツハイマー型認知症の予防にも一日3杯くらいが適量ではないかと話す。
「焙煎はできるだけ深くした方がよさそうです。眠気覚ましに飲むのなら通常のコーヒーを、そのほかの時間帯はデカフェにするなど、カフェインを摂りすぎないよう飲み分けるとよいです。そしてブラックがお勧めです。砂糖やクリームは極力避けましょう」
認知症の予防に、コーヒー以外で気をつけるべきことはあるのだろうか。
「ストレスを感じない生活を送ることです。疫学研究では、ワインやお茶、野菜、果物などによい食品成分が含まれているとされています。そして大事なのは、『予防のために』と意気込んで飲まないこと。それ自体がストレスになりますから、コーヒーは構えずおいしく飲むことがいちばんですよ」
コーヒーのメリットを認識しつつ、さりげなく飲む。認知症予防のためにも、それがいちばんよさそうだ。
慶應義塾大学薬学部衛生化学講座教授。博士(薬学)。1983年東京大学大学院薬学系研究科博士課程修了。日本ロシュ研究所、スイス連邦工科大学、明治薬科大学、名古屋市立大学を経て、2001年共立薬科大学教授。合併により2008年から現職。