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クロロゲン酸が脳の老化を防ぐ?
ヒトは歳をとると近くのものが見えにくくなる。加齢による「生理的老化」だ。たとえ健康でも老化は進み、空間認知などの脳の認知機能も低下していく。さらに生活習慣やストレスが重なることで糖尿病合併症やアルツハイマー病などの疾患が起こりやすい。これらは加齢による「病的老化」だ。
生理的老化のスピードを抑え、そして生理的老化が病的老化に進むことを遅らせることは、生活の質(QOL)を低下させない大事なポイントだ。今回は老化に伴う脳機能の低下を、コーヒーが多く含むクロロゲン酸が抑える可能性があるという研究を紹介したい。
小脳をモデルとして、記憶にアプローチ。
この研究に取り組んだのは、京都大学大学院薬学研究科准教授の柿澤昌さんだ。柿澤さんは大学院時代、サケの回遊に関する研究に取り組んでいた。
「サケは川の匂いを記憶し、産卵のために戻ってきます。本来、神経活動は脳に生じる電気的なものなので一瞬で消えてしまうはずですが、記憶として定着し、生物はそれに基づいて行動する。こうした記憶の性質や脳のメカニズムを知りたいと思いました」
博士号を取得後、研究対象をマウスへ移し、神経の電気的活動を解析したり生きている脳内の機能を画像化するイメージング手法などを吸収。今はモデル動物の小脳に、遺伝子操作や薬物投与などを施しアプローチしている。
高齢になると、記憶・学習が低下。
マウスでは小脳は脳の表面に位置し、大脳皮質などよりも細胞の種類が少なくて実験的なアプローチを行ないやすい。また、主要な機能である運動学習を観察することで、より客観的・定量的な評価が可能だと柿澤さんは言う。
「小脳のメインルートは顆粒細胞とプルキンエ細胞です。運動を調節する指令は顆粒細胞から平行線維を経てシナプス(注1)を介してプルキンエ細胞に伝達されます(図1)。このシナプスの伝達効率(結合強度)が状況に応じて変わるのが『シナプス可塑性』で、記憶・学習の基盤とされています。小脳のシナプス結合が持続的に強くなる長期増強(LTP)は若いマウスだと起こりやすく、生後20カ月ほどの高齢マウスではほとんど起こりません」
老化には活性酸素がかかわっている。そこで柿澤さんが生後1カ月ほどの若いマウスの小脳に活性酸素の一種、過酸化水素を投与すると、高齢マウスと同じように小脳LTPが起こらなくなった。その頃、柿澤さんは小脳LTPに必要なメカニズムとして、一酸化窒素の作用で細胞内のカルシウム濃度が上昇する「NICR」(注2)という現象を見出していた。このNICRも活性酸素により阻害される。
今回の実験は、活性酸素に効くとされる抗酸化物質のうちコーヒーに多く含まれるクロロゲン酸に着目したもの。
「活性酸素による運動学習やNICRの阻害が、もしもクロロゲン酸で解除されるのであれば、クロロゲン酸の抗老化作用について、個体レベルから分子レベルまで関連づけて説明できるようになるのではないかと考えました」
(注1)シナプス:神経情報を出力する側と入力される側の間に発達した、情報伝達のための接触構造。
(注2)NICR:一酸化窒素依存的Ca2+ 放出(NO-induced Ca2+ release)の略。
活性酸素の悪影響を、クロロゲン酸が緩和。
実験は、コーヒーと同濃度のクロロゲン酸を含む水を生後4週齢からマウスに与え、100日後に体内で活性酸素を生む「パラコート」を腹腔投与し、180日後に解析した(図2)。
「パラコートを与えて老化を早め、さまざまな影響を見たかったのです」
小脳のプルキンエ細胞で起きるNICRは、マウスから取り出した脳を厚さ250μmにスライスして人工の脳脊髄液に浸し、酸素を加えて生かしておき、一酸化窒素を発生させる「NO供与体」を投与して測定した。
「パラコートのみでクロロゲン酸を与えなかった群ではNICRが起きませんでしたが、パラコートとクロロゲン酸を与えた群ではきれいにNICRが起きています(図3)。クロロゲン酸の作用により、活性酸素によるNICRの阻害が抑えられたと推測されます。これはほぼ期待通りのものでした」
さらに小脳の機能を調べるため、回転する棒の上にマウスを乗せて落下までの時間を測る「ローターロッドテスト」も行なった(図4)。何も与えないマウス群は試行を繰り返すうちに2分間近く回転棒にいられるようになる、つまり運動学習が成立するが、パラコートのみでクロロゲン酸を与えなかった群は最後まで上手にならなかった。
「NICRが阻害されて運動学習がうまくいかないのです。活性酸素が悪い影響を与えているのがわかります」
一方、クロロゲン酸を与えた群では、パラコートによる運動学習の阻害がほとんど見られなかった。また、パラコートとクロロゲン酸を与えていた群をパラコートのみを与えた群と比較すると、成績が改善する傾向が見られた。
「ただし予想よりもその差は小さいものでした。今回のマウスの飲水量をヒトに置きかえると1日に12L。クロロゲン酸の摂取量が多すぎて神経機能の維持に必要な活性酸素まで吸収してしまったのではないかと考えています」
次回はコーヒーの濃度を見直してチャレンジしたいと語る柿澤さんのこの実験は、活性酸素がヒトに与える悪い影響をクロロゲン酸が緩和する可能性があることを、分子レベルから解き明かすものとして高く評価されている。
柿澤さん自身もコーヒー好きで、毎日3~4杯は必ず飲んでいるという。
「コーヒーが素晴らしいのは、嗜好品でありながら体によい影響があることが示唆されている点です。老化は避けられなくても、そのスピードがゆっくりであれば健康的な日々が過ごせます。コーヒーを楽しみながら長生きする。こんなによいことはないですよね」
(かきざわ・しょう)
京都大学大学院 薬学研究科 生体分子認識学分野 准教授。博士(理学)。東京大学理学部生物学科卒業。脳内の機能を画像化するイメージング手法などを駆使して、モデル動物の小脳にさまざまな角度からアプローチする。