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COFFEE BREAK
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エッセイ*吉村作治【千夜一夜の国々の、コーヒー話あれこれ。】
エジプトに限らず中近東の国に行きますと、街角にカホア(場所によってはアホア)とよばれている喫茶店があります。パリの街角にあるカフェのような感じです。そこでは、水煙草を吸いながら、チビリ、チビリとミニチュアみたいなコーヒーカップ(デミカップ)で、砂糖がたっぷり溶けこんだコーヒーを男たちが飲んでいます。男たちは黙って空を眺めながら水煙草をフウーと大きくはき出し、次の瞬間スーッと深く吸い込む作業を繰り返しています。目はどちらかと言いますと虚ろです。何を考えているのでしょう、もしかすると高度な哲学的思索にふけっているのでしょうか。傍らでは、二人の男たちが、タウラとよばれているゲームをやりながら、カホアを飲んでいます。店中が水煙草の煙でむせかえるようです。店は男たちで満席、しかし、タウラやトランプをやっている人も無口、勿論水煙草を吸っている男も無口、BGMのアラビア音楽だけが、けたたましい。
こんな雰囲気は私の憧れでした。カイロでもアレキサンドリアでもシリアのダマスカスやアレッポでも、トルコのイスタンブールでも、ヨルダンのアンマンでも、何故か同じような風景に出会うのです。
中近東でのコーヒーは大きく分けて2種類あります。カナカとよばれるコーヒー専用の取っ手付きコーヒー沸かし鍋で、コーヒーの粉と水、そして好みで砂糖を入れ煮立てるトルココーヒーとよばれるものと、コーヒー豆をぐつぐつ煮込んで、シナモンやカルダモンといった香辛料を入れたアラビアコーヒー(カホアアラビィ)です。前者はデミカップに入れた後、しばらく口を付けられません。コーヒー豆を粉にしたボンニと言われる粒々が沈殿するのを待たないと、口の中で粉の粒々が舌に触ってざらざらするからです。粉粒が沈殿した上澄みを飲むのです。カホアは注文するとき、「ソッカル、イザイ(砂糖はどのくらい入れますか)」と聞かれます。度合いは、ゼイアダ(多め)、マズブータ(中くらい)、サーダ(ノンシュガー)の3種類のチョイスがありますが、少なくとも普通の日本人は、ゼイアダは甘すぎて飲めません。少しインテリの人なら、日本人は日本茶を砂糖を入れずに飲むから、ほぼサーダだと思ってくれるのですが、マズブータでも私には甘すぎます。〝日本茶に砂糖を入れない〟と向こうの人は思うということに、違和感を持つ方がいらっしゃるでしょうが、日本茶をシャイ・アグタル(緑の茶)とよび、英国風の紅茶と区別しています。モロッコを中心とした北アフリカでは、緑茶に砂糖とミントを入れて飲みますし、アラブでは滅多に緑茶は飲みませんが、飲む場合は砂糖を入れます。
一方、アラビアコーヒーは主にアラビア半島、サウジアラビアや湾岸諸国、イエメン、オマーンなどで日常的に飲まれています。アラビアコーヒーは元々の飲み方です。元々と言えば、コーヒーはエチオピア、アビシニア高原の中心部にあるカホア村にはえていた一本の木が起源です。現地人がその木になる実を天日干しにして、炒って煮出したものを、奴隷狩りに来ていたアラブ人が飲んでみたところ、とても美味しかったので、アラビア半島の東南にあるイエメンに持ってきて、そこで植樹し採れた実をそのようにして飲んだのがモカで、この飲み物を見つけた村の名カホアと呼ぶようになったのです。
それが数世紀の後、アラビア半島を征服したオスマントルコ人がヨーロッパに広めたのがトルココーヒーで、実をつぶして煮出すトルコ式では飲みにくいというので、紙で濾すなど工夫された新しい飲み物がヨーロッパ大陸に広まったのが今のコーヒーというわけです。
さて、私はカイロのカフェでコーヒー占いの老女に占いの仕方を教わったことがあります。その老女が、上エジプト出身の方でアラビア語が訛っていてよくわからなかったのですが、ドロドロとしたトルココーヒーを全部飲み切らずに少し残しておき、カップの底に溜まっているドロドロした液状の粉を逆さまにして、底からカップの縁に流れた形で占うのだそうです。確かにやる度にその文様は形が違っていました。もう忘れてしまいましたが、縁に向かって広がらないと幸運はやって来ないとのことでした。何を占ってもらうかを老女に言う必要はなく、心に想えばいいのだそうで、カップを〝えいやっ〟とひっくり返し、念じますと、それが叶うか否かがわかるという単純なものでした。もっと複雑な判定もあるようですが、言葉がよく聞き取れませんでした。
アラビアコーヒーの飲み方で注意しなければならないのは、カップを横にふらない限り何杯でも注ぐことです。「もういい、やめて」と言ってもどんどん注ぐのは、岩手のわんこそばのようです。止め方を忘れ、泣き出した日本人もいたそうです。ベドウィンのテントの中での出来事だそうです。コーヒーの話題は尽きないほど沢山あります。とにかく千夜一夜の国アラビアですから。
1943年生まれ。早稲田大学名誉教授・工学博士(早大)。エジプト考古学者。66年にアジア初のエジプト調査隊を組織し現地に赴いて、以来半世紀にわたり発掘調査を継続、数々の新発見をした。www.egypt.co.jp