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COFFEE BREAK
文化-Culture-
コーヒー歴史トリビア・クイズ 〈新大陸に渡ったコーヒー編〉
謎めいているからおもしろい!コーヒー歴史トリビア・クイズ
〈新大陸に渡ったコーヒー編〉
Question1
メイフラワー号の積荷のなかで後にコーヒーをいれるのに使われたことがわかっているものは次の3つのうちどれ?
a 木製の臼と杵
b カップ&ソーサー
c 焚き火に入れて使う焙煎機
Answer1 a 木製の臼と杵
1620年に102人のピリグリム・ファーザーを乗せてイギリスから新天地アメリカ(現在のマサチューセッツ州プリマス)に渡ったメイフラワー号の積荷記録にはコーヒー豆は見当たらない。しかし、ペレグリン・ホワイトという人物の両親によって一組の木製の臼と杵が積まれていたこと、それらが後にコーヒー豆をすり潰して粉末にするのに使われたことはわかっている。
Question2
コーヒーに関するアメリカ最初の記述には、当時の人々があるフレーバーを添加してコーヒーを飲んでいたことが記されている。そのフレーバーとは次の4つのうちどれ?
a バニラ
b シナモン
c 生姜
d バーボン・ウィスキー
Answer2 b シナモン
エスター・シングルトン著『オランダ領ニューヨーク』という本に1668年の記述として、ニューヨークで人々がコーヒーに砂糖かハチミツを加え、シナモンで香りをつけて飲んでいたことが紹介されている。北米に最初にコーヒーを持ち込んだのはバージニア開拓者のジョン・スミスで、1607年のこととされるが、それを裏付ける公的な文書は存在しない。確実なのは1660年代半ばから70年代の初頭にかけて、オランダ人やイギリス人によってコーヒー飲用が伝えられ、広まったということ。
Question3
ニューオーリンズのコーヒーハウスで生まれ、広まったコーヒー・カクテル「ブリュロ」。このカクテルのレシピに不可欠の果実とは?
Answer3 オレンジ
ブリュロの作り方は、コーヒーにオレンジジュースとオレンジの皮、砂糖を入れ、コニャックを浮かべて火をつけ、かき混ぜるというもの。シナモンやクローブなどのスパイスを入れるレシピもある。ちなみに、19世紀末、フランス北部のカフェでブリュロと呼ばれる厚手のカップが普及した。コーヒーを飲んだ後、カップを裏返し、高台の窪みに蒸留酒を入れて飲むのが当時の作法だったという。そこにはフランス領だったニューオーリンズとの繋がりがうかがえる。
Question4
コーヒー、紅茶、ココアはほぼ同じ時代に北米に伝わったが、18世紀の歴史的事件によって、アメリカ人のコーヒー贔屓が決定的になったと言われる。その事件とは?
Answer4 ボストン茶会事件
ボストン茶会事件は、「代議権なければ、納税義務なし」をスローガンにイギリス本国議会の植民地政策に異を唱えた植民地の急進派が1773年12月に起こした抗議活動。イギリス政府は、かさばる戦費を植民地に負担させようと、紙や塗料、油脂、ガラス製品などに加え、当時アメリカでも愛飲されていた紅茶に税を課した。それに反対した急進派メンバーが港に停泊中のイギリス東インド会社の船を襲撃し、おびただしい量の茶葉を海に投げ捨てた。当時、紅茶はイギリス本国の「悪政」の象徴とみなされ、ボイコットする人が多かった。その代わりにアメリカ人が愛飲したのがコーヒー。以来、アメリカ人のコーヒー贔屓は今日まで続いている。
Question5
ボストンのコーヒーハウス「バンチ・オブ・グレープス」がアメリカ独立宣言の煽りを受け、被った災難とは次の3つのうちどれ?
a 狂喜した民衆が押し寄せて床が抜けた
b 近くで焚かれた祝いのかがり火が燃え移った
c 旧体制派の集う場所だったということで閉鎖に追い込まれた
Answer5 b 近くで焚かれた祝いのかがり火が燃え移った
「バンチ・オブ・グレープス」は、通りを挟んで向かい側にあった「グリーン・ドラゴン」と並んで、ニューイングランド地方を代表する初期コーヒーハウス(当時のコーヒーハウスは宿屋兼バーのような場所で、コーヒー専門店ではなかった)の代表格であり、自由を求める政治家や軍人、活動家が集った。1776年7月4日、大陸議会によってアメリカ独立宣言が採択されると、「バンチ・オブ・グレープス」のバルコニーから、フィラデルフィア植民地代表団が眼下に集まった群衆に向かって、宣言文を読み上げた。熱狂したボストン住民の一人がこの店のすぐそばで祝いのかがり火を焚き、その火が店に燃え移ったという。
Question6
17世紀後半、ニューヨークに誕生したコーヒーハウス。そこには同じ時代のヨーロッパのコーヒーハウスにはない使われ方があった。その使われ方とは?
Answer6 裁判や議会を行った
ニューヨークにおいても、コーヒーハウスが商業や政治に大きな影響を及ぼすサロンであったことは、同時代のロンドンやパリの場合と同じであった。違ったのは、ニューヨークのコーヒーハウスは、その奥行きのある細長い空間が植民地住民の集会場として、裁判や議会に使われたこと。また、当時の発展途上のニューヨークにはまだ職業文筆家が活躍できるような余力はなく、環境も整っていなかったので、コーヒーハウスにつきものの文学が生まれていない。