COFFEE BREAK

BOOK

文化-Culture-

2013.06.25

コーヒーネタが満載、話題のライトミステリー。

 コーヒーに関心のある人なら、きっとこの本の存在に気付いているはずだ。タイトルに入った「珈琲店」の文字、そしてエプロンをかけた可愛い女性がエスプレッソマシンに手をかけている表紙の絵。発売後半年もしない間に40万部を突破した話題作とあって、目立つ場所に並べる書店も多い。ライトノベルのような体裁が売り上げに貢献しているのは間違いないが、いっぽうで手出しできない壁を感じる人も多いのではないだろうか。今回はその壁を取り除くべく、紹介したい。

 本書は著者にとってのデビュー作。読書好きの間では「このミス」の通称で呼ばれる「このミステリーがすごい!」大賞の隠し玉として刊行された。隠し玉とは、受賞には及ばないが将来性を感じる作品のことで、本書は2012年の隠し玉4作のうちの1作だ。

「その謎、たいへんよく挽けました」で謎解き完了。

 珈琲店タレーランは、京都の二条通近くにある珈琲店。主人公のアオヤマは、飛び石のように土に埋め込まれた赤煉瓦に導かれ、蔦の絡まる建物にたどり着く。タレーランは、フランス革命の頃、辣腕を振るった政治家だが、美食家としても知られる人物で、「良いコーヒーとは、悪魔のように黒く、地獄のように熱く、天使のように純粋で、そして恋のように甘い」という言葉を残している。アオヤマは、そんなコーヒーを長い間探し求めていた。そして偶然からたどり着いたこの店で、ついに理想の1杯と出合う。引用する。

――二口めで衝撃は確信に変わる。
 唇から注ぎ込んだ瞬間、鼻腔にふわりと広がる香ばしさ。次いで感じたのは、そっと舌をなでるような甘みだった。丹念に炒られた豆だけが生み出せる絶妙な清涼感が、刺々しくなりがちな後味を上手にフェードアウトさせている。

 コーヒー好きならうっとりしそうな描写だ。理想の1杯をいれたのは誰か。店にいるのは、アルバイトの女子高生らしきエプロン姿の女性と、銀のひげをたくわえ、モスグリーンのニット帽をかぶった老人しかいない。これは小説だから当然意外な方、つまり女性ということになる。彼女の名は切間美星(きりまみほし)。女子高生ではなく23歳になる、珈琲店タレーランのバリスタだ。髪型は短めのボブ。制服代わりにしているのは、白いシャツに黒いパンツ、紺のエプロン。表紙にも登場する彼女が、このミステリーの探偵役でもある。

 7つの連作短編で毎回解き明かされるのは日常の謎だ。殺人事件も起きないし、巨額の不正が明らかになったりもしない。緊迫感には欠けるが、本格ミステリーの重厚感とは対極の単純な推理の型に面白さがある。美星がコーヒー豆を挽くのに使っているのは、手回し式のコーヒーミル。木箱の上に球形のホッパーが載った、クラシックなモデルだ。毎回コリコリコリと豆を挽く音が、推理の始まった合図。最初に推理を披露するのは、アオヤマ。「全然違うと思います」ときっぱり言い切る美星。「その謎、たいへんよく挽けました」で謎解き完了だ。2人は、ある時は店で取り違いが起きた傘の謎に迫り、またある時は、大学生カップルの浮気疑惑に迫る。冷静な美星の姿は、アニメのヒロインのように型にはまっている。

藻川又次に小須田リカ。登場人物の名前も一興。

 ところが章を追うごとに、美星の心に潜む〝砦〟の存在が明らかになってゆく。近付けば近付くほど、触れてはいけない何か。バリスタとしても探偵役としても落ち着いた態度を貫く美星が時折見せる不安な表情が、アオヤマを惹きつける。定石通りと知りつつもつい不器用な若いカップルに肩入れしたくなる展開に入ったところで、後半は一気に、アオヤマがこの美星の砦に挑む。そして新たに芽生える大きな謎。副題の「また会えたなら、あなたの淹れた珈琲を」は実現するのか。デビュー作ということもあり、キャラクター造形にはやや甘さも感じるが、ラストの余韻は心地よい。

 推理、恋愛に加えて、興味深いのはコーヒーまわりのうんちくだ。バリスタという言葉の意味、ベトナム式のホワイトコーヒー、カフェラテとカプチーノ、カフェマキアート、カフェモカの違い。コーヒーのいれ方にも注目したい。手回し式のコーヒーミルを使っているのは先に書いた通り。抽出方法はネルドリップ。信頼できるロースターに細かく注文して理想的なコーヒー豆を入手する。経営状態は相当怪しいタレーランだが、純粋に美味しいコーヒーを追求する若い女性の姿は微笑ましい。幻のコーヒーと呼ばれるモンキーコーヒーも登場する。コーヒーの実を食べたサルの糞から取り出す未消化のコーヒー豆。洗浄、乾燥した上で抽出に用いると複雑で独特の香味が加わるとされる。アオヤマは知人から台湾土産にもらった猿珈琲をネタに、美星を自宅へ誘うことに成功するのだが、何が起きるかは読んでのお楽しみ。

 登場人物の名前もユニークだ。探偵役バリスタの切間美星はキリマンジャロ、アオヤマはブルーマウンテン、タレーランオーナーの藻川又次はモカマタリ。アオヤマの遠縁の女子大生、小須田リカはコスタリカ、といった具合。

 コーヒーをテーマにした話題のライトミステリー。これほど売れている本だから話題作りとして読んで損はない。とくとくと語られる内容に違和感を抱いたとしても、コーヒー好きなら、その違和感をネタにして語り合う機会もきっとあるはずだ。

『珈琲店タレーランの事件簿 また会えたなら、あなたの淹れた珈琲を 』
岡崎琢磨著
宝島社文庫 ¥680(税込) 

主人公のアオヤマは、京都の珈琲店タレーランで探し求めてきた理想の珈琲と出合う。珈琲を淹れているのは、美人バリスタ切間美星。やがて彼女は、推理にも才能をみせ、傘の忘れ物から女性の心を読み、ある言葉をきっかけに大学生カップルの誤解を解く。アオヤマは、スキのない美星の心に挑むが、政治家タレーランのように権謀術数には長けていないのだったーー。

文・今泉愛子(ライター)
更新日:2013/06/25

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