COFFEE BREAK
文化-Culture-
不朽の名作のよすがを求めてシチリアへ。
ゴッドファーザーが愛したコーヒー。
神話的とも言える名作の中でコーヒーはどんな役割を演じたのか?シチリア民謡を奏でるギターの哀調に誘われて、サヴォカへ、コルレオーネへ、そしてパレルモへと経巡った。
1972年に公開された映画『ゴッドファーザー』は、後続のパート2(公開74年)、パート3(同90年)を併せて、アメリカ映画史に永遠に残る最高傑作のひとつと言えるだろう。そこに描かれているのは、20世紀初頭に始まるあるイタリア系移民一家の壮絶な悲劇の物語だ。この作品によって「マフィア」という言葉を知った人も多いのでは? 確かに『ゴッドファーザー』はニューヨーク・マフィアの歴史をリアルになぞっているが、この映画の有する価値を犯罪組織や暴力の表現に限ってしまうのはいかにももったいない。そこには、人間存在の根本に関わる普遍的で深遠なテーマが描かれていた。
そしてコーヒーは、この映画の中で小道具として極めて重要な役柄を演じている。シリーズ3部作を通じて、コーヒーが登場するシーンは5回ある(そのうち、実際にコーヒーが画面に登場するのは3回、残りは言葉のみ)。
親密さを示すシンボルとして、冒頭からコーヒーが登場。
たとえば1作目の冒頭のシーンだ。マーロン・ブランドが演じるヴィト・〝ドン〟・コルレオーネが頼みごとをしにきた葬儀屋のボナセーラに言う。
「長い付き合いだ。しかし、お前はわれわれを、うちでコーヒーでもどうですかと言って招くこともしない」
イタリア・シチリアを故郷に持つ彼らにとってコーヒーは単なる飲み物以上の、親密さや結束を示す存在なのだ。
コルレオーネのバールで、
コーヒーをもう一杯。
『ゴッドファーザー』におけるコーヒーのもうひとつの役割は、ヒリリとした緊迫感を演出すること。パート2の中で、ロバート・デ・ニーロ演じる若き日のドン・コルレオーネが〝ブラックハンド〟(マフィア以前にニューヨークに横行したゆすり組織)のファヌッチに楯突くシーン。600ドルのみかじめ料の要求を100ドルに値切られたファヌッチが冷めたコーヒーをグイとあおって言う、「いい度胸だ」。
緊迫感と言えば、コルレオーネの町を訪ねる時、われわれ取材チームを包んでいたのはまさにそんな雰囲気だった。ゴッドファーザー一家のコルレオーネという姓は、本来の姓ではない。ヴィトがアメリカに渡り、入国審査を受けた際に出身地の町「コルレオーネ」が誤って姓として登録されてしまうのだ。コルレオーネはかつて、本当にマフィアの拠点だった。フランシス・フォード・コッポラ監督は当初、この町でロケを行うつもりだったが、町民の反対に遭い、やむなく島内の別の場所で行っている。パレルモから車で約2時間。牧草地や農耕地が広がるダイナミックな景観の果てに人口1万1000人ほどのその町はあった。昼下がりの町は拍子抜けするほど長閑だった。公園のベンチに二人並んで腰を下ろしていた老人に話を聞いた。
「ずいぶんひどい時代もあったけど、今は静かなもんじゃよ」「昔はみんな仕事を求めて、遠くまで行ったんじゃ。私も長らくスイスで鍛冶屋をしておった。こっちの彼はドイツの紙工場だ」
出稼ぎや移民の仲介・斡旋からマフィアのビジネスが立ち上がっていった背景がちらりと覗けた気がした。
歴史に翻弄された町で、男たちが飲むコーヒーの味。
マフィア撲滅運動の歴史を展示したミュージアムの傍のバールに入った。男たちが一人、また一人と現れては静かにコーヒーを飲んでいく。シチリア人はシャイだと言われる。それが時に「強面」と取り違えられることがあるようだ。しかし、ひとたび知り合うと、純朴で人懐っこい人が多い。
〈この国が好きだ。大昔からここの人間は辛酸を嘗めてきた。不正に喘いだ。なのに不幸ではなく、幸せが訪れると信じている〉(マイケル・コルレオーネが元妻のケイに語る台詞)
もう少し、この数奇な運命を辿った町の雰囲気を味わってみようと思い、店主にコーヒーのお代わりを頼んだ。
クライマックスの舞台パレルモで、
力強い味わいのコーヒーを飲む。
シリーズ3部作の中で、コーヒーが登場する最高のシーンはパート3の前半にある。マイケル・コルレオーネが娘のメアリーと朝食を共にするシーン。卓上には大きめのカップ、エスプレッソメーカーとミルクジャグ。娘を固く抱きしめたマイケルが言う、「お前のためなら地獄も怖くない」。今更言うまでもないことだが、『ゴッドファーザー』で最も重要なキーワードは「ファミリー」だ。この言葉は広義(組織のメンバー)と狭義(実際の家族、または家族同然に育ってきた仲間)の両方で頻繁に使われる。この朝のコーヒーが起点であったかのようにファミリーの命運に巻き込まれていくメアリー。従兄のヴィンセント(後にマイケルを後継してドンになる)と恋仲になるが、二人が睦まじく朝のコーヒーを共にする機会は遂に訪れることなく──。
ファミリーの一員に、なったような気分で。
パレルモでどうしても訪ねたかったのはマッシモ劇場だ。シリーズ3部作のフィナーレを飾る場所。父マイケルの意向に背き、オペラ歌手の道を選んだ息子アンソニー。彼の晴れの舞台が、この劇場だ。演目はシチリアの貧しい山村を舞台にした『カヴァレリア・ルスティカーナ』。嫉妬と憎悪がエスカレートするステージと同調するように劇場内でも殺るか殺られるかのシーンが展開する......。1897年に落成したネオ・クラシック様式の劇場は、作品の世界そのものだ。ステージ正面の貴賓席に陣取り、愛息子の演技に拍手を送るマイケルの姿がありありと目に浮かぶ。そのドンにライフルの照準を合わせ、今にも引き金を引きそうなスナイパー。コニー(マイケルの妹)に毒入りのカンノーロ(シチリア名物のお菓子)を贈られた敵のボスが喝采の中で息絶える......。すっかりファミリーの一員になったような気分で劇場を出た。通りへと出る石段は殺し屋がメアリーの命を奪うクライマックスシーンの現場だ。絶命する娘の傍でマイケルが断末魔の叫びを上げる......。︎
〝理想〟という名のコーヒー屋に立ち寄った。バールではなく自家焙煎の豆を商う店だ。「〝理想〟と名付けたのはひいお爺さんなんです」と四代目のジャンフランコ・スタニッタさんが教えてくれた。〝超理想〟というカネフォラ種主体のブレンドを試飲させてもらった。派手さはないが力強く、スッと一本筋が通ったような味わいだった。