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COFFEE BREAK
文化-Culture-
エッセイ*阿刀田高【コーヒーとの長いつきあい】
昭和二十五年の春、地方の中学を卒業して東京の高校へ進むと決まったとき、女子大出の若い先生が、
「あなた、きっとコーヒーを飲むわ。ミルクが小さいカップで出てくるから、それをそのまま飲んじゃ駄目。コーヒーに入れるのよ」
ちょっときれいな先生だった。
私の下宿は新宿から私鉄で一駅、初台にあって、一番の楽しみは、格安の三十円で古い映画を上映していた帝都名画座へ行くこと、さらに、これも格安の渋谷食堂(新宿にあってもこの名前だった)で六十円のランチを食べること、初台から往復の電車賃が十円で、しめて百円也、これがなによりもうれしかった。
ランチにはコーヒーがつく。
確かに小さな銀色のカップにミルクが入っている。先生の言葉を反芻しながら、
――おれは知っているんだぞ――
悠々とミルクを注いで飲んだ。まわりを意識しながら......。しかしだれも注目なんかしていなかっただろう。
あれから六十有余年、どれほどコーヒーを飲んだことか。どれほど小カップのミルクを琥珀色の中に注いだことか。時折、
――あの先生にはかわいがられたなあ――
と思い出す。こちらも憧れていた。苦いような、甘いような......でも先生の消息はしらない。
お話変わって、
「一番強く心に残っているコーヒーは?」
と問われたら、やはり、アムステルダムの町角で飲んだ一ぱいだ。さんざん町を散策して疲れはて、ふと立ち寄った店だった。
アイリッシュ・コーヒー......。これを飲むのは初めてだった。仕様に多少の差異はあるのだろうが、アイリッシュ・ウィスキーを使うのは当然のこと。長いグラスの下半分は熱い褐色のコーヒー、アルコールを含んでいる。上は白く、冷たいクリーム。かきまぜて飲む。
ほどのよい甘さ、ほどのよい苦さ、カフェインが疲れを取り、次いでアルコールが胃の腑に広がって、かすかな酔いが疲れをしなやかになでて寛がせてくれるみたい。たった一ぱいで効果覿面。
――うまいなあ――
しみじみそう思った。ささやかなビギナーズ・ラック......つまりアイリッシュとの初めての出会いだったから感激もひとしおだった。
以来、コーヒー店のメニューに、この片仮名が記されていれば、たいてい、
「これを」
と願って心待ちにする。
いつもおいしいとは限らない。アムステルダムの感激は、今日までのところまだ再現されていない。コーヒーそのものの味というより、むしろ私の体調がアイリッシュ・コーヒーを賞味するにふさわしい疲労状態だったのだろう。心もなにほどかエキゾチシズムを求めていたのかもしれない。
とはいえアムステルダムほどではないが、アイリッシュ・コーヒーは日本でもおおむねわるくはない。聞けば、
「コーヒーがウィスキーに負けないくらい濃くなくちゃいけないんですよ。その按配がむつかしくてね」
「なるほど」
わが家で作ると、たいていしっぱいする。第一、アイリッシュがないものだからスコッチで間に合わせたり......ほかにもなにかしら大切なノウハウがあるに違いない。
名言名句のたぐいを眺めてみると、よいコーヒーとは、
〝天使のように清く、悪魔のように黒く、地獄のように熱く、恋のように甘く、天国のように安らか〟
なんだとか。
〝清い〟というのはヘンテコな混ざりものがなく、ピュアーに淹れられていることだろう。悪魔の黒さは、よくわからないけれど、濃い褐色はコーヒーの賞味ポイントの一つだ。当然熱くなくてはいけないだろうし、だが、甘さについては、
「おれ、ストレートがいいよ」
甘味をきらう人も多い。
「だからサ、恋だって、ぜんぜん甘くないのがあるだろう。本当は甘くないのに、甘く感じたりするのが、コーヒーのうまさよ。そこが恋に似てるんだ」
「こじつけがひどいな」
しかし、〝天国のように安らか〟は飲んだあとの心地だろう。それなら納得がいく。アムステルダムのひとときは、まことに、まことに小さな天国だった。
そして最後に、もう一つ。
「一番上等のコーヒーは、東京の青山だな」
おしゃれな町である。
「でも、どうして?」「ブルー・マウンテン」
なるほど。でも青山は本来は墓地の謂である。人間いたるところに青山あり。
あ、やっぱり天国か。人によっては地獄かもしれないけれど......。
1935年生まれ。早稲田大学文学部卒。1979年短編集『ナポレオン狂』で直木賞、1995年『新トロイア物語』で吉川英治文学賞を受賞。短編の名手として知られる。1995年から直木賞選考委員。2009年旭日中綬章受章。