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COFFEE BREAK
文化-Culture-
コーヒーへの愛に満ちた、カウリスマキ作品。
コーヒーが切れた、という理由だけで旅に出た男がいた。キレた、と言い替えてもいい。ヴァルトという、もういい歳をした中年男である。家業の洋裁屋で日がなミシンを踏み続ける毎日。消費され続ける大量のタバコとコーヒー。ある日、無愛想な母親に言う。
「母さん、コーヒーがない!」
怒りにまかせて母親を納戸に鍵をかけて閉じ込め、母親の財布からカネをくすねてヴァルトは家を出て行ってしまう。そしてカフェでコーヒーを二杯飲み干し、たったひとりしかいない友人レイノと一緒に、改造したての車であてのないドライブに出発するのだ。
主人公は映画史上もっとも大量にコーヒーを飲む男。
もちろん現実の話ではない。フィンランドの映画監督アキ・カウリスマキによるわずか62分の小品、『愛しのタチアナ』の冒頭部である。
コーヒーが登場する映画は数あれど、ヴァルトほどコーヒー狂の主人公はほかにいるまい。カウリスマキ映画の例に漏れずヴァルトもほとんど表情を変えることがないのだが、劇中で唯一感情の高ぶりを見せるのが「母さん、コーヒーがない!」のくだりなのだ。
さらにヴァルトは、改造した愛車のために〝秘密兵器〟を用意していた。通販で取り寄せた車載専用のコーヒーメーカーだ。これさえあればどんなに遠くまでドライブしてもいつでもコーヒーが飲める。筆者は寡聞にしてこの映画で初めて目にしたが、物語の設定年代と思しき60年代のフィンランドでは流行っていたのかも知れない。
『愛しのタチアナ』はヴァルトと友人レイノのロードムービーであり、同時にほのかなラブストーリーでもある。彼らが道中で出逢うのは、タチアナとクラウディアというソ連の女性。フィンランドを旅行中だった彼女たちはバスの故障で立ち往生してしまい、帰国船に乗り遅れまいとヴァルトとレイノに港まで送ってほしいと頼む。
男同士の旅がたちまち華やかな空気に包まれる、と思いきや、そうは問屋が卸さない。カウリスマキという監督は、恋愛や人生に通じた小器用な人間にてんで興味がないのだ。とりわけヴァルトとレイノのコミュニケーション能力の低さは尋常ではない。ふたりともいい大人で、レイノにいたっては老眼すら始まっているのに、女性と何を喋っていいのかが皆目わからないのだ。
結局、男たちはただただコーヒーとウォッカを消費するのみ。会話の手段が、タチアナが話すカタコトのフィンランド語しかないこともぎこちなさに拍車をかける。無言のまま車は進み、備え付けのレコードプレーヤーだけが軽快にロックを鳴らす。クラウディアとふたりきりになったヴァルトが、唐突に目の前のヒーターのつまみを触り始めるシーンなどは、不審人物スレスレな男の純情につい微笑んでしまう。
しかし、旅はいつか終わる。別れも必ずやってくる。車は港にたどり着き、ヴァルトとレイノはフェリーに乗ってウクライナまで着いて来てしまうのだが、クラウディアは列車で故郷へと帰ってゆく。別れ際にヴァルトが贈られたのは、頬へのキスとラッピングされたコーヒーミル。コーヒーの苦味が旅の切なさと重なって、モノクロの映像にさらなる陰影を与える。
セリフは最小限、ストーリー上の起伏もほとんどないが、これほど可愛らしい映画を筆者は知らない。ヴァルトが象徴する帰るべき日常と、レイノが体現する恋という名の可能性。控えめだけど可笑しくて、ロマンチックでほろ苦い。いまではDVDも手に入り難く、名画座で上映されると何度でも観に行ってしまう大切な一本だ。
一杯2ユーロのコーヒーが、孤独な男の人生を狂わせる。
同じくカウリスマキの『街のあかり』も、孤独な男の人生をコーヒーが一変させる。友人もなく職場でも孤立している警備員のコイスティネンが、ガラガラのカフェでコーヒーを飲んでいると、目の前にコーヒーカップが置かれる。見知らぬ女が「ここに座っていい?」と訊いてくるのだ。仏頂面は崩さずとも、コイスティネンにとっては一大事。「なぜだ?」「寂しそうに見えたから」「結婚するか?」「まずは知り合わなくちゃ」。
コイスティネンは女を初デートに誘うが、ダンスができず立ち尽くすばかり。それでも女はコイスティネンの頬にキスをする。実は女はギャングの情婦で、コイスティネンが警備する宝石店を狙っていただけのこと。コーヒーに睡眠薬を混ぜられ、鍵を盗まれ、強盗犯の濡れ衣まで着せられる。しかし女の正体を知ってもなお、コイスティネンは女をかばい続ける。なぜってこれはカウリスマキの映画だから。男たちにとって、頬へのキスはどんな愛の行為にも勝るのだ。
カウリスマキは、なぜこんなにも愚かで哀れな男を主人公にしようと考えたのだろうか。コイスティネンを陥れるギャングも言う。「犬のように忠実でバカで女々しい奴さ」と。しかしカウリスマキの映画を観る度に、バカで女々しい男たちの不器用さを愛さずにはいられない自分がいるのである。
配給=ユーロスペース
カウリスマキが、自分が育った60年代へのノスタルジーをにじませるロードムービー。60年代にフィンランドで人気を博した英国バンド、ザ・レネゲイズから哀愁漂うタンゴまで、全編を彩る音楽も素晴らしい。出演はカウリスマキ組の常連、マッティ・ペロンパとカティ・オウスティネン。1994年。
配給=ユーロスペース
カウリスマキがチャップリンの名作『街の灯』にオマージュを捧げた、苦い現実にほのかな希望を灯すような悲喜劇。懐古趣味の強いカウリスマキだが、本作では珍しく再開発が進むヘルシンキの現代の姿を映しており、現在のところ母国フィンランドで撮った最後の長編作品になっている。2006年。